私には皮膚科医の伯父がいました。母の兄で兄妹仲がとてもよかったので密な交流がありました。私の記憶は、伯父が勤務医から開業医に転向したころからはじまっています。豊橋で皮膚科医院をやっていました。
わたしは小さいころから皮膚が弱くアトピーでよく伯父の世話になりました。医学生になっても皮膚のトラブルは多く、しょっちゅうSOSの電話をしていました。伯父は「皮膚科はことばで説明しても(その場で見ていなくても)みんなおなじ病状を思い浮かべることができるように、細かく皮膚症状を表現する言葉があるのだ」と言い、わたしに自分の症状を細かく説明させました。皮膚の状態、色、範囲、痒み、きっかけ等、これらを説明する医学用語がたくさんあります。わたしは皮膚科の教科書をみながら、電話向こうの伯父に伝わるよう必死で説明しました。その上で、病院へ行くようにとか、○○という薬が手持ちであればそれで、とか指示をくれました。このことが皮膚科に興味を持つきっかけになったと思います。
母は伯父より先に亡くなりました。母が亡くなった時、私は卒業を控えた大学6年生でした。悲しんで府抜けているわたしに伯父は言いました。「悲しいことだけど必ず皆が経験することだ。スーパーでレジを打つ人も大学の教授も100%経験している。ただ経験する時期が違うだけ。」このアドバイスのおかげで学業にしっかり戻ることができ、無事卒業しました。
卒業時、わたしは、小児科医になるか皮膚科医になるかとても迷っていました。自分の皮膚が弱かったけど適切な治療でいい状態に保てたこと、おじの影響はとても大きいものでした。亡母や伯父の期待も感じます。その一方で子供が大好きで小児科実習のときの楽しさが忘れられません。悩んで伯父に相談しました。「皮膚科でも小児科でもいいんだよ。大事なことはきちんと患者さんと向き合うことだ。皮膚科の病気は治らないと思われがちだけどそれは違う。治らない治らないと何度でも来てくれる患者さんは一番の先生だ。なぜ治らないのか、何が違っているのか、自分の診療に責任を持って自分でしっかり考えること。それが勉強だよ。きっとそれは小児科でも一緒だと思う。ただ小児科の難しいところは患者さんが自分で訴えないことだ。たいていおかあさんが訴える。その訴えは本当なのか?そこから考えるのが小児科だ。とても大変な仕事だよ」と伯父は言いました。
わたしは小児科医になりました。今でも伯父の言ってくれたこと、心に留めて診察しています。普段の診療で心がけているのは、「必ず次にも診せていただくこと」です。治ったのか、治らないのか、治らないのはなぜか。つねにこれを考えながら仕事をします。しつこいように、「次はいつ来て」とわたしが言うのはそういう理由です。もうなんともないのにめんどくさいな・・とか思わず、「医者に教えている」のだと思ってどうぞお付き合いください。