このコーナーでは、医療を少し離れて、自分自身のことや身の周りの出来事についてお話ししようと思っております。

今回は悲しいお知らせを受けたのでそのことについて書かせてもらいます。

「鈴木善男先生のこと」essay19-1

鈴木先生は、名古屋第二赤十字病院の脳外科の先生でした。長女の2度目の手術をしてくださった恩人です。長女は「もやもや病」という脳血管の疾患をもって おり、何回も脳梗塞を起こし後遺症を持っています。3歳前での発症だったので、日ごろは楽天家のわたしも、この子はいったいどうなってしまうのだろうと、 途方にくれていました。1度目の手術の後、それだけでは不十分ということがわかり、2度目の手術に臨みました。

鈴木先生は、家に帰ることがあるのかな?と思うほど、いつも病院にいらっしゃいました。こまめに様子を見に来てくださり、たいそう心強かったと覚えています。おかげさまで術後の経過は思った以上によく、あっと言う間に退院となりました。ただ、脳外科の疾患ですから、生涯のお付き合いです。

年齢が大きくなるに従って、学校のこと、学習のこといろんな問題がでてきます。そんなとき鈴木先生はいつも「おかあさん、大事なのは教育です」と言われました。

「ピアノもいいでしょう、リハビリもいいでしょう、なんでも大事です。それがすべてこの子にとって教育です」と。先生はわたしが小児科医とはご存じなかっ たと思います。なんどもなんども、「こどもの発達は未知であります、医学では解明できないことが沢山あって、また、いまの医学では解明できなくても将来的 にはわかってくることもあるはずです。それまではこの子にとって大事なのは教育なのです。」とおっしゃいました。医者としてではなく患児の母として先生の 前に座り、「そうだ教育なんだ、あきらめてはいけないんだ」となんど心強く思ったことでしょう。半年に1回、1年に1回という受診でしたが、こころのなかではずっと頼りにしていました。長女のことでくじけそうなとき、「教育、教育」と、こころに念じ、乗り越えてきました。

essay19-2その鈴木先生が亡くなったと聞いたのは先月のことでした。奥様のご挨拶にも「医学に一生をささげ、医療のために生きてきたようなひとだった」とありました。それによって長女やわたしを含めてたくさんの人が救われました。本当に感謝しています。まだお若くて思い残すところも多かったと思います。ご冥福をお祈りいたします。先生の教えは、わたしの子育てに、そして診療にこれからさきもずっと生きていくと思います。ほんとうにありがとうございました。在主。

(2008.09.09)